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京都地方裁判所 昭和34年(ワ)483号 判決 1961年11月30日

原告

小林大已 外一名

被告

城戸平左衛門 外一名

主文

被告等は連帯して原告小林大己に対し五〇、〇〇〇円及び原告小林美代子に対し一五〇、〇〇〇円並びにこれ等に対する各昭和三四年七月一七日から支払の済むまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその三を原告等のその余を被告等の各負担とする。

事実

一  原告等訴訟代理人は「被告等は連帯して原告小林大己に対し二五〇、〇〇〇円、同小林美代子に対し二五〇、〇〇〇円及びこれ等に対する各昭和三四年七月一七日から支払の済むまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因等として、次のとおり述べた。

(一)  被告城戸は醤油醸造業を営む者であり、被告田中は運転手として被告城戸に雇われ、被告城戸において右営業に使用するため所有している自家用自動三輪車の運転等の業務に従事していた者である。

(二)  原告大己、同美代子の二女光子(昭和三一年八月一四日生)は、昭和三三年一二月三〇日午後四時頃京都市右京区松尾井戸町六四、六五、六六番地附近路上において、被告田中の運転する被告域戸所有の自動三輪車(京六せ―一五二六号)に突き倒され、頭蓋骨々折及び頭蓋内出血の傷害を与えられ、同月三一日午後一時三三分同市中京区御池高倉西京都第二赤十字病院救急分院において死亡した。

(三)  右事故発生の経緯は次のとおりである。すなわち、被告田中が被告城戸所有の右自動三輪車を運転し、被告城戸の醤油を配達するために、得意先の同市右京区松尾井戸町六四、六五、六六番合地近藤末吉方に赴こうとしたところ、被告田中にとつて同所附近は初めての土地で地理に暗いため、誤つて近藤方前を通り道ぎたので、右近藤方前まで後退しようとした。ところで同所附近は、歩車道の区別のない幅員約六・六〇米のアスフアルト道路の両側に住宅が建ち並び、自動車の後部を横断しようとする歩行者が不意に出現することが予想され、かつ、遊戯中の幼児が車の前方より後方に移動したのを認め得る状態にあつたのであるから、運転手たる被告田中には、警笛を吹鳴して警戒を与え同乗の助手を下車させ後方の安全を確認したうえで後退し事故の発生を未然に防止しなければならない注意義務があるのに拘らず、バツクミラーにより漫然後方を望見したのみで急激に後退したため、約五・八〇米後方で三輪車に乗つて遊んでいた小林光子の後頭部に車体後部を激突させた。かようにして本件事故が発生したのである。

(四)  被告城戸は、天宝年間より手広く醤油醸造業を営む名家に生まれ、大原野村農地委員長、同村長、同農業会長等を歴任した名士であり、資産は三〇、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。

他方原告大己は、左官職を営む者で、原告美代子との間に昭和二七年一一月二八日生の長女弘子、昭和二九年五月三一日生の長男之博の二児を有するのであるが、末子であり、かつ病気がちであつた前記光子に対し殊に深い愛情を注いで来たのである。

本件事故は、前記光子が原告大己から与えられたあん餅を持つて喜々として家を出、被告田中の運転する自動三輪車の前を通り同車の東側を経て同車の後方(南側)近藤方前道路の左端に接して後向きにいるところを引倒されたもので、原告等は、愛する光子を自宅前路上で無残にも傷害されたわけであり、しかも光子は、救急車で日赤救急分院に運ばれ両親を絶えず呼び求め苦痛を訴えながら受傷後約一日を経過して死亡したのである。

かようにして被らしめられた原告等の苦痛は、各五〇〇、〇〇〇円の支払を受けることにより僅かに慰藉され得るのであるが、昭和三四年四月二四日原告等は、被告城戸加入の自動車損害賠償責任保険により慰藉料としては各五〇、〇〇〇円保険金総額一八六、〇一〇円)の給付を受けたので、なお各四五〇、〇〇〇円の支払を受けて始めて慰藉され得るのである。

よつて原告等は、被告田中に対しては不法行為の直接の加害者として、被告城戸に対しては加害自動車の保有者として、右各四五〇、〇〇〇円のうち各二五〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三四年七月一七日から支払の済むまで年五分の割合による金員を連帯して支払うべきことを求めるため本訴に及んだ。

(五)  本件事故発生が不可抗力に基くものであるとの被告等の抗弁は否認する。

二  被告等は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決並びに仮執行免脱宣言を求め、答弁等として、次のとおり述べた。

(一)  原告等主張事実(一)は認める、同(二)のうち原告等の二女光子が傷害を受け死亡したことは認めるがその余は争う、同(三)は否認する、同(四)のうち原告等が保険金の支払を受けたことは認めるがその余は否認する。

(二)  光子の受傷は、自動三輪車の後退とは無関係であつて、光子が自らよろめいて道端の石垣で頭を打つて受傷したものにほかならない。

(三)  仮に自動三輪車の後退と光子の受傷との間に因果関係があるとしても、被告田中は、本件事故発生につき無過失であり、本件事故発生は不可抗力に基くものであつた。すなわち、原告等の居住する地方には、被告城戸の顧客が多くあり、被告城戸の被用者である被告田中も、自然右地方の道路に通暁していたのであるが、殊に本件の場合においては、被告田中は、本件現場附近において被告城戸の店員橋本勝夫が自転車で通行しているのに会い、橋本から目的の場所である近藤末吉方を教えられた。その際橋本は、安全を見きわめ、自動三輪車を誘導し、自分は自転車を右側へよけ、あたかも助手の勤めを果して自動三輪車を後退せしめたのである。

(四)  また被告城戸は、被告田中を運転手として採用し、かつ被告田中の運転手としての仕事を監督するにつき、過失がなかつた。すなわち被告城戸は、運転手を採用するに際しては、性行、免許証、人物、経験等をただし、十分調査のうえ採用することにしていたのであり、事故防止のためには、新聞紙に掲載された交通事故の記事を材料として訓誡し、本件事故当日も年末のこととて十分の注意を与えて出発せしめたのである。

(五)  他方原告等は、光子に対する監督義務者としての責任を、いちぢるしく怠つていた。すなわち原告等は、従来から、子供等が道路で遊ぶのをそのままに放置し、再三警察から注意を受けても顧みなかつたのであり、そのため、かつて光子は自宅向い側の水路で溺死しかけたこともあり、また乗用自動車の下敷となり危くけがをまぬかれたこともあつたのであるが、本件の場合においても、原告等両名とも在宅しながら、道路交通取締法施行令第六八条第六項に違背して光子を道路で遊ばせたために本件事故の発生を見るに至つたのである。

(六)  本件事故発生後、被告等は、原告等を慰藉するため、相当の方法を講じた。すなわち、被告城戸は、年末多忙中にも拘らず一二月三〇日夜半病院に見舞に赴いた。翌三一日午後光子死亡の報に接し、被告城戸は、被告田中をして直ちに弔意を表するため原告等方に赴かせ、かつ二日が葬儀と聞いたので当日長男を差し向けたが、四日に変更とのことであつたので、四日に更に長男をして原告等方に赴かせたのである。

以上の次第であるから、原告等の請求には応じ難い。

三  (立証省略)

理由

一  成立に争いのない甲第二号証及び同第四号証の一並びに原告本人小林美代子の尋問の結果を綜合すると、昭和三三年一二月三〇日午後四時三〇分頃原告等の二女小林光子(昭和三一年八月一四日生)が、京都市右京区松尾井戸町六四、六五、六六番地先路上で右顔面及び右大腿に骨膜に達する挫創を受け、翌三一日午後一時三三分右頭部外傷による頭蓋骨骨折、頭蓋内出血により死亡するに至つたことが認められる(もつとも、右のうち原告等の二女光子が受傷して死亡した事実は当事者間に争いがない。)。

二  そこで右受傷の原因及び責任について審究することとする。前掲甲第二号証、成立に争いのない同第三、第六、第八号証、乙第四、第六号証、証人橋本勝夫(一部)、同堤已一郎(第一、第二回)の各証言及び検証の結果に本件弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実を認めることができる。すなわち、

昭和三三年一二月三〇日午後被告田中は、醤油醸造業者である(この点については、争いがない。)被告城戸の命令で、被告城戸において所有する自動車損害賠償保障法所定の自動車である京六せ―一五二六自動三輪車(運転手席は右側にある。)を運転し、助手席に瀬古忠夫(同人は助手を勤めるのは初めてであつた。)を乗せて、醤油の配達等のために被告城戸方を出発した。同日午後四時三〇分頃京都市右京区松尾井戸町六四、六五、六六番地近藤末吉方に醤油を配達しようとして松尾街道を北進していたところ、被告城戸方の雇人である橋本勝夫が自転車で南下して来るのに出会い、同人に近藤方の所在を尋ねたところ、同人がほぼその所在を知つていたので自動三輪車を案内することになり、同人は、反転北進して自動三輪車を先導し、道路の西側にある近藤方前で自転車を停め、近藤方に入つて末吉の妻正に声をかけて同家が目指す近藤方であることを確めた。その間に被告田中は、近藤方前から約六米行き過ぎて道路の西側に自動三輪車を停車させ、橋本を待つた。近藤方の所在を確めた橋本は、自転車に乗つて自動三輪車のそばに行き被告田中に近藤方の所在を教えた。ところが被告田中は、瀬古忠夫や橋本勝夫に後方の安全を確認させることなく、ただ、バツクミラーと運転台後方のビニール窓から後方を望見したのみで後退を開始したため、視界を荷台にさえぎられ、近藤方前北よりの道路上に立つていた小林光子の姿を発見することができず、自動三輪車の車体左後部を光子に衝突させ、よつて前示の傷害を負わせた。かように認めることができる。

乙第五号証及び証人橋本勝夫の証言中には、橋本が被告田中に近藤方を教えるにあたり、自転車を近藤方前に残したまま徒歩で被告田中のそばに寄り近藤方を教えたうえ、更に引き返して自転車をとり、道路の中央を通つて北方に、すなわち自動三輪車の前方に来たとの部分が存するけれども、そうして、真実そうであるとするなら、橋本の目に光子の姿がふれる機会が今一度増すことになる筋合であるけれども、右部分は、橋本の行くべき方向が北方ではなく南方であつたことに鑑み、にわかに措信し難い。

また、乙第二号証及び被告本人田中常雄の尋問の結果(第一回)中には、近藤方軒下で遊んでいた光子が急に飛び出して来て自動三輪車に接触したと思うとする部分が存在し、証人大西孝一の証言によると、右事故発生直後警察部内にも不可抗力による事故ではないかとの見解が存在したことが認められるけれども、右は未だ推測の境を出でず、本件事故が不可抗力によるものであることにつき立証があつたものとすることはできない。

もつとも、乙第五号証及び証人橋本勝夫の証言中には、橋本は近藤方前に自転車を停めたとき女の子はいなかつたと思う旨の部分があり、甲第五号証中には、瀬古忠夫は近藤方前を通過したときに子供はいなかつたと思う旨の部分があり、また、被告本人田中常雄の尋問の結果(第一回)中には、被告田中は子供も通行人も見当らなかつたと思う旨の部分が存するけれども、しかし前掲甲第二号証によると、本件事故発生前から事故発生地点のすぐ北西に子供用三輪車が置いてあつたことは動かし得ない事実であると認められるのに、田中、瀬古、橋本のいずれも、右三輪車の存在に気づいた証左がないことから見ると(子供用三輪車の存在は、その附近に子供が遊んでいることの徴表というべきであつて、運転手、助手等は、当然これに気づかねばならなぬものである。)、同人等の前記観察部分をもつて正確なものと評価するわけには行かない。

そもそも、前記のように自動三輪車を後退させるに際しては、バツクミラーや運転台後方のビニール窓から望見するのみでは、視界の相当部分を荷台にさえぎられることとなる筋合であるから、運転手たる被告田中には、助手たる瀬古を下車させるか、又は橋本に依頼して、自動三輪車後方の安全を確認させ、かつ自動三輪車の後退を誘導させる注意義務があるのにもかかわらず、被告田中は、この注意義務を怠つて本件事故を惹起したのであるから、本件事故は、被告田中の過失に基くものというべきであり、また、本件事故は、被告城戸の保有する自動車による人身事故であるから、被告等は、連帯して、本件事故により原告等が被つた精神的な損害を賠償すべき義務がある。なお被告城戸は、被告田中の選任監督につき過失がなかつた旨抗争するけれども、被告城戸に対する請求が自動車損害賠償保障法によるものである本訴においては、右抗弁は主張自体失当である。

三  そこで原告等が賠償を求め得べき精神的な損害の額について審究することとする。前掲乙第四号証、成立に争いのない甲第九号証、証人大西孝一の証言、原告本人両名及び被告城戸平左衛問の各結果を綜合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

原告等両名間には三名の子供が生まれたが、光子は末子であつて原告等はとりわけ同人を愛していたのであり、原告小林美代子はさきに手術を受けた結果今後子をもうけることはできない、原告小林大己は左官業を営み、当時月二万五、六千円の純益を挙げていた、

被告田中常雄は、当時被告城戸方に、住込で月給五、五〇〇円の約束で運転手として雇われていたのであり(被告田中が被告城戸に運転手として雇われていたことは、争いがない。)、特段の資産を有しない、

被告城戸平左衛門は、天宝年間から醤油醸造を業として来た名家に生まれ、大原野村長等の公職を歴任し、資産は三〇、〇〇〇、〇〇〇円を下らない、

被告城戸は本件の事故が発生するや、即日病院に原告等を見舞い、また光子の葬儀には長男及び被告田中等を参列させた、そうして原告等が被告城戸加入の自動車損害賠償責任保険による保険給付を受けるにつき協力を惜しまなかつた、しかし被告城戸としては、本件事故は、自動三輪車の後退とは無関係、仮に関係があるとしても不可抗力に基くもの又は運転手たる被告田中の過失には基かないものとの見解を堅持し、原告等に対し卒直に同情と弔意を表明することにおいて欠けるところがあり、保険給付受領についての協力の如きも、原告等に対する恩恵と観念している、

他方原告等は、子供を道路で遊ばせることにつき、原告等方筋向いにある駐在所の巡査から注意を受けていたのであり、以前にも光子が自動車にひかれかけたことがあつた。

右のとおり認めることができる。

もつとも松尾街道が当時交通ひん繁な道路であつたと認めるに足る証左はないから、幼児である光子が松尾街道で遊戯し歩行することを原告等において禁止しなかつたからといつて、直ちに道路交通取締法施行令に違反するものと考えるわけには行かないけれども、しかし原告等が光子の監護義務者として、十分自動車に注意するよう本人及びその兄姉をしつける義務があることはいうをまたないところであり、この点について原告等の義務違反が本件事故の遠因をなしていることは否定し得ないところである。

かような諸事情及び事故発生の経緯、傷害の部位程度等を綜合して考えると、原告等が被告等に対し賠償を求め得べき精神的損害の額は、各一五〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。そうして成立に争いのない乙第七号証及び弁論の全趣旨によると、原告大己分につき、うち一〇〇、〇〇〇円が保険金により填補されていることを肯認することができる。してみると、原告等の本訴請求は、原告大己において被告等に対し連帯して五〇、〇〇〇円、原告美代子において被告等に対し連帯して一五〇、〇〇〇円及び右各金員に対する不法行為の後である昭和三四年七月一七日から支払の済むまで年五分の割合による金員の各支払を求める限度において、正当として認容すべきであるが、その余は、失当として棄却を免れ難い。よつて民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。なお仮執行宣言は、これを付することが相当とは認められないから、付さない。

(裁判官 乾達彦)

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